改めて、なぜ Hi‐Standard なのか。オレの中では単純明快、Ken Yokoyama でも Pizza Of Death でも届かないところに Hi‐Standard なら届かせることができるからだ。Ken Band をプライドを持ってやっているオレとしては、それを認めるのは本来ならとても悔しいことだ。まぁしかし今はそんなことはどうでもいい。
ちょっと残酷な言い方になるが、オレ達の音楽ではお爺さんお婆さんは救うことはできない。オレ達の存在を必要としていない人達を、オレ達では救えない。しかし逆説的に、Hi‐Standard を必要としている人、ちょっとでも「おっ!」と思ってくれる人達は救えるということも見えてくる。
震災で生活様式も仕事の環境も一変してしまった方々がいっぱいいるはずだ。そうでなくても傷ついた方はいっぱいいる。ふさぎ込んでる、暗い気持ちになってる方はいっぱいいる。そんな方々が喜んでくれるなら、「ちょっと騒ぎに行ってスカーッとするか!」そう思ってくれるならオレ達は嬉しい。
オレは常々「難しそうな局面を軽々と越えてみせてしまう」のがロックのカッコよさの一つだと思ってる。今回オレはそれを見せたい。ロックをして生きてきた者が宿命として持ち合わせる業を見せたい。
甚だ追記ではあるが、Ken Band の活動もスローダウンさせることはない。せっかく新しく有望なドラマーが加入したんだから日本中をツアーして周り続ける。そのポイントについては難波もツネも同じだろう。それぞれ現在やっていることは、自分達にとっても生きていくための大きなモチベーションなんだから。
Hi‐Standard のライブは今のところ9月の横浜と来春の東北、この2本だけの予定だけど、やりたい、やるべきだと感じた時にはいつでも動かせるようにしておきたい。
この10年間を思い返すと少し不思議な気もするけれど、それでもこうやって再び集まることは自然なことなのだろう。まぁ当たり前と言えば当たり前なのだ。オレも難波もツネも、20代の多感な時期を一緒に過ごし、一緒に物を創り、人生観や価値観を分け合い、一緒に世の中と相対してきたんだから。
それぞれが目の前のやるべきことをキッチリとやりつつ、たまに集まれれば良いんだ。
オレは「ツネのリズムに乗せて顔を見合わせてギターを弾き、難波の隣でコーラスをする自分」にまた会えることにエキサイトしてる。
これも常々言っていることだが、あらためて言っておきたい。
音楽では世界は変わらない。
音楽にケツを蹴り上げられて、熱い気持ちになった人が行動して、そうして世界は変わっていくんだ。
Hi‐Standard は音と存在で、みんなのケツを強く蹴り上げたい。